桜花雑貨店

本とか音楽とか考えたこととか。

平成という名の人生。

今日で平成が終わる。私にとって平成とは人生そのものといっても過言ではない。

平成初頭に生まれ、約30年間平成という時代とともに生きてきた。

初めての元号またぎだけれど、特に何をするというわけもなく、家でのんびりと過ごしている。

 

私が生まれた頃はバブル真っ只中だったらしいけど、赤ん坊だったので雰囲気とかは全く覚えていない。物心ついた頃にはバブルははじけていたけれど、両親は私や妹をいろいろなところに連れて行ってくれたり、習い事に通わせてくれたりした。あの頃はディズニーランドの入園料もまだ安くて、年に2回くらいは連れて行ってもらっていたことを思い出す。ピアノも習っていたけれど、強制されて練習するのが嫌いな子どもだったからほとんど練習せずに週1回のレッスンに行って、先生に呆れられていたことを覚えている。「月謝を払ってるんだからちゃんと練習しなさい」と母親に何度言われたかわからない。結局ピアノは10年習ったけど、そこまで上達せずに辞めた。

ピアノを辞めた理由というのが、当時中学入学とともに始めた部活動、吹奏楽の練習のほうに集中したいからというものだった。その頃から高校時代まで、私は吹奏楽に青春を捧げることになる。楽器はトロンボーン。入部当初、顧問の先生に適当にあてがわれたことがきっかけだった。中高時代の恋人はトロンボーンだった。

吹奏楽は高校で燃え尽きてしまったため、大学では吹奏楽に入らず別のサークルに入った。大学生活は本当に自由で、それまでの人生で一番楽しい日々を過ごした。初めて恋人ができたのも大学時代で、その彼氏とは社会人になってからも付き合い続けた。約6年経ったころ、そろそろ一緒に住もうかという話になり、プチ遠距離恋愛だったため私が当時の仕事を辞めて彼の住む街に引っ越すことになった。加えて新天地での仕事も探し、そのための試験を受け、就職先も無事決まろうかという矢先だった。ほんの些細な喧嘩のような出来事がきっかけとなり、彼と連絡がとれなくなったのは。引っ越し予定月の3か月ほど前だった。連絡は一向に取れず、家まで行っても出てこない。辛うじて生存確認はとれたものの全く会ってもらえない状況が続き、押しても引いてもどうにもならない日々が続いた。しかし就職は決まってしまい、キャンセルするというわけにもいかず、仕方なしに一人暮らしの部屋を決め、一人で住み始めた。

結局彼と再会したのは半年が経ったころだったが、その半年間で散々悩み苦しんだ私の彼への感情はもう無になっていて、そのまま別れた。しかし6年も一緒にいた人をそう簡単に忘れられるわけがなく、その後もしばらく苦しんだ。もう私は誰とも付き合ったり結婚したりできないかもしれない、一生一人なのかもしれない、と落ち込む日々が続いた。

新しい仕事はといえば、悪くはなかったがそれまでしていた仕事とはスピード感が段違いで、ついていくのに必死だった。ケアレスミスもよくやらかして、自分はダメ人間なんじゃないかと何度も思った。加えて初めての一人暮らしで慣れないことも多く、寂しくて仕方がなかった。

そんな中、同じ職場のある男性と話すようになった。彼はよく私に話しかけてくれ、口下手な私としてはとてもありがたかった。いい人だな、と思ってはいたが、彼はかなりの年下だっため、私のようなアラサーは興味ないだろうな、たまたま近くにいたからちょうどいい話し相手だと思われてるんだろうな、としか思っていなかった。だから、何気なく交換したLINEで、デートに誘われたときはとても驚いた。何かの怪しい宗教に勧誘されるんじゃないかとか、変なものを売りつけられたりするんじゃないかと思いつつOKし、戦々恐々として待ち合わせに向かったが、全然そんなことはなかった。彼は面白く、思いやりがあり、いつでも私を笑わせてくれて、怪しいものとはかけ離れている人だった。そんな出来事を経て付き合い始め、今年で2年になる。

私は平成でいろんなものを失ったけれど、その代わりいろんなものを得られた。

令和は何が待っているだろう。結婚とか出産とか、そんな出来事もあるかもしれないし、ないかもしれない。願わくば平和でありますように。そして私の大事な人たちが穏やかに暮らしていけることを祈るばかりだ。

令和もよい元号でありますように。