桜花雑貨店

本とか音楽とか考えたこととか。

気持ちのすれ違いから、考えたこと。

「あなたのためを思って」とか、「心配してるから」とか、そういう言葉を枕詞にすれば何言ってもいいっていうわけじゃないよね。そういった言葉を笠に着て、無遠慮な言葉を投げるのは違うと思う。

黙って見守ってて欲しい時とか、空気読んで何も言わないで欲しい時もある。そういう時に、相手からそうしてもらえるかどうか、または逆の立場の時に自分がそうできるかどうかで、自分・相手の評価や印象が変わるんじゃないか、と。何でも話せばいいってもんでもないし、それを相手に強要するべきでもない。

もちろん何も言わなくても察してほしいというのは甘えではあると思うし、自分から何も話してもいないくせに分かってくれないと怒るのは暴挙だと思うけれど、ある程度事情を知っていて、相手を信頼しているのであれば、相手が自ら話してこないのに無理に聞き出そうとすのは良くない。

相手には相手なりの考えがあってその行為(話さないこと)を選択しているのだから、それを尊重してあげることも必要だと思う。もし自分が話さない側の立場なら、何かあったら話聞くからね、とかって受け入れる体制を整えて待っていてくれているだけでも多少安心する。そしてもし何か話した時は、決して否定せずに受け止めてほしい。そっか、そうなんだね、と言ってくれたり、気持ちに共感してくれるだけでも少し楽になる。

変に「頑張れ」とか、「それくらいできるよ」とかって相手を鼓舞したりするのはあんまり良くなくて、ただ共感して欲しかった、話を聞いて欲しかっただけなのに、ということになりかねない。頑張れないから悩んでいるのであって。落ち込んでいる人、悩んでいる人を責めたり否定したり、「何で〇〇しないの?」などと言ったりするのはNG。それをされるとものすごく嫌な気分になるし、もう二度と相談なんかするかという気分になる。

話してくれなきゃわかんないとか言って話させようとするのは相手の意思に反しているし、それは自分の心配な気持ちを満たしたいだけのエゴになる。黙って見守ることも愛だと思う。

相手も何も考えないで行動してるわけじゃないと思うし、話すことが全てじゃない。自分の価値基準だけで相手を判断しちゃいけないな、と。どんなに親しい相手でも、あくまで他人なわけだし。どんなことを言われたら傷付くかくらいある程度想像できるし、いくら近しい関係でも言っていいことと悪いことがある。

だけど、いつまでもギクシャクしてるのは自分にとっても相手にとっても気分が悪いし得策ではないと思うから、どちらも大人になることも大事。いつまでも引きずらず、お互いに相手を一人の人間として尊重する姿勢が必要なんじゃないだろうか。

 

 

長々と書いてきましたが。

こんなことを考えたのは、自分自身に起きた二つのすれ違いがあったから。

一つ目は恋人と、もう一つはそれに関連して母親と。私が余計なことをして恋人を怒らせ、それについて落ち込んでいた私に対して母親が余計なことを言って私を怒らせた、という構図です。つまり私は怒らせた側と怒った側両方の気持ちを立て続けに体験したわけで、それについて考えたことを記録に残しておこうと思った次第です。もう同じことは繰り返したくないし、大切な人を不快な気分にさせたくないから、その教訓として。

自分は嫌だと思っていたことでも、相手が変わると今度は自分が相手に求めてしまっていたものもあるなぁと反省しました。親には口出しされたりするのは嫌だし話したくないこともあるのに、恋人に対してはいろいろ口出ししてしまったり、何でも話してほしいと思ってしまっていたり。申し訳ない。

けれどこうして思ったことを改めて書き留めてみると、これからの親や恋人との接し方を少し明確化することができたんじゃないかな、と思います。

怒らせた側/怒った側、両方の立場から考えたので、ところどころ立場がごっちゃになっているかもしれないけれど、ひとまずそんな考えごとでした。